金子千裕 作品展

闇がたり

金子千裕 作品展

2025,4/11~20(fri.sat.sun)

open 12:00 ~ close 18:00


作品ステートメント


正月、実家に帰省したとき久しぶりに新聞を読んだ。
「光は果てしない闇のなかに湧く気泡のようなもの」
そんな言葉がたまたま紹介されていた。
ちょうど撮り続けてきた「夜の写真」にどんな言葉を添えようかと考えていたので、それは
ちょっとした天啓のように思えた。
想像して欲しい。闇の中を歩いている。
今、何かを見た。何かがあった。気配がする。
ライトをそちらに向ける。闇に光が泡立つ。
瞬間、それは消えてしまう。
より早くとフラッシュを一閃しても、それでは間に合わない。
あれはなんだったのだろう?
本当に何かがいたのか。気のせいだったのか。
わからない。すべては闇の中だ。
だからこそ、それを語ろう。写真で。
・作品解説
金子千裕は主に日暮れから夜明け前の時間帯に都市部を避けて撮影を行っている。
きっかけは彼女が 2011 年、東日本大震災で故郷が被災したこと、そこに残してきた家族や
東京の就労先での人間関係の変化などから睡眠障害を患ったことにある。彼女は眠れない
夜、あてどなく線路沿いや河川敷を歩き写真を撮っていた。
「君の夜の写真は面白い」そう言ってくれたのは、 彼女の写真の師である瀬戸正人だった。
瀬戸は「まだ見ぬ、もう一枚の写真を求めて」を掲げ、夜の写真学校というワークショップ
を 30 年以上続けている写真家だ。また彼が主催するギャラリーPLACE M は日本最古の自
主ギャラリーでもある。
金子は瀬戸のワークショップ卒業後、夜の写真を形にしようと試行錯誤を開始した。
そのような中にあった 2021 年、金子は美術家 吉野祥太郎からの誘いで奥能登国際芸術祭
2020+に技術スタッフとして参加した。 現場で芸術家や会場である珠洲の人々と交流し、珠
洲の自然や文化に触れ、 ただ撮るのではなく、 灯籠や漁火のように被写体や空間を照らして
いくことの必要性を感じるようになった。 また神事「あえのこと」との出会いから、彼女は
目に見えないもの/映らないものへの思いも持つようになった。
金子はそんな「夜の写真」のシリーズを一度まとめようとしている。
2024 年は「夜の写真」のシリーズを FUJIFILM ポートフォリオレビュー/アワードに応募
した。 現在はその際に選考委員の作家たちに指摘されたことを踏まえ、 撮り足し再編集を行
っている。本展示はその一部である。



プロフィール


金子千裕
1980 宮城県仙台市出身。
高校~大学院修了までマジシャンの桔梗徳哉氏にマジックの指導を受ける。
2004 石巻専修大学理工学研究科機械ステム専攻修了(工学修士)後、上京し就職。
2016 ワークショップ「夜の写真学校」にて瀬戸正人に師事。2018 年卒業(32 期生)
同年、ワークショップ「みっける 365 日」にて美術家 青山悟、北川貴好に指導を受ける。
2019 株式会社トランス・コスモスにてカメラマンとして半年ほど勤務後、退職。
2024 FUJIFILM ポートフォリオレビュー/アワード 2024 ファイナリスト

https://k-chihiro.com
https://www.instagram.com/chihiroro_kaneko/


mizuki okashita

ひとひと

Mizuki Okashita exhibition

2024.11/1(fri)-11/4(mon). 11/8(fri)-11/10(mon)

経歴

Mizuki Okashita
神奈川出身 代官山スタジオ勤務

ステートメント

やまやま を見上げる日の おだやかさが好きだ
なみなみ とした やわらかさが好きだ
人肌 山肌 木肌 岩肌 やさしく愛でて
まなざしを すべらせて

そこに梅らしい方が居た

精神的退行画展

Exhibition

2024 10/11(Fri)~10/27(Sun) 金、土、日、祝日のみ開館

open 12:00~close 18:00

at Tish Be

Statement

どこかで見たことが有る様な作品、或いは、

真似事をしたくない為に始めた試みである。

2004年から始めた「心的退行をしながら描く」と言う試みは、

自分が破船する可能性も十分にある事を承知の上で始めましたが、

ここ数年日常生活もままならない状況になり、

ここで20年間の試みを終わらせるかもしれない展示になります。

今後のステートメントにもつながる新たな扉も垣間見れる絵画展となっております。

今回の展示会では「進行と退行」をテーマに展示させていただきます。

経歴

Hisashi Matsumoto

1971生まれ

https://hisashimatsumoto.com

五橋研究所

横尾忠則事務所(雑務)

現在フリーランス

---2004年からのこころみ---

主に心的退行の影響下に入り、創作の可能性を探る

『GOD COUNTER』

EISUKE FUKUMOCHI PHOTOEXHIBITION

2024 07/26(fri)-28(sun),08/02(fri)-04(sun)

open 12:00 close 18:00
at Tish Be

Statement

『GOD COUNTER』

はじめてカメラを持ち撮影したのは、

10代に働いていた産業廃棄物処理業の現場でした。

素材で分けられた様々な物、分別ができず投げ捨てられ山積みになった姿。

また集積場所で異様に繁茂する植物達にレンズをむけました。

通り過ぎる景色の中で、目が離せない場所や存在があることに気づいていきます。

それは人工と自然の痕跡が残っているものに自身の「生への攻撃性、強烈な脆弱性」を感じる事だと思うようになりました。

1998年から現在まで撮影している行為をある種の祈りと捉え、

内面の調和を意識する風景を探しています。



福持英助   Eisuke Fukumochi

写真家

1974年神奈川県横浜市出身。
1997年 に写真事務所「go relax E more」の設立に参加。 
2004年に写真家・清野賀子より 独立し、
2010年に株式会社 福持英助写真事務 所を設立。
これまでに写真展の開催多数。



RED's

Y.Toyomane photo exhibition

2024 05/12(日)~19(日)

Open 12:00~Close19:00

statement

REDs

赤、朱、紅、茜、赫、丹、銅、赭……。

漢字では色々な種類の「赤色」が豊かに幅広く表現されます。あなたはこの色たちからどんなことをイメージするでしょうか?

愛情、炎、停止を求めるサイン、火星、情熱の薔薇、血液、共産主義、唐辛子、日の丸、酔っ払いの赤ら顔、めでたい色……。

ウクライナで、ガザで。終わらない戦禍で流される血や、燃え上がる炎をメディアが報じる機会が増えているためでしょうか。私が街の中からこの色を探すようになったのは。

すでに「新しい戦前」になってしまった「ニッポン」。まだ平和な間に、ゆるくやさしいく「REDs」を探してみました。

街には「REDs」があふれていました。

豊間根 功智

P.S. 裏のテーマは「0.95」です。

プロフィール

1963年、札幌市生まれ。

1986年、築地に本社がある新聞社の出版部門でカメラマンとしてのキャリアをスタート。

新聞や雑誌をメインに東京、宇都宮、名古屋、大阪、札幌で勤務。

得意分野は「事件・事故」。

2021年、定年前に北海道支社で退社。

現在は、東京・目黒を拠点にカメラマンと整体師の二刀流で活動中。

スパイス料理全般、麺類、酒を愛する。

" Trace "

Seina Fujimura Photo exhivision

2024.4.12 (Fri)-14(Sun)
2024.4.19 (Fri)-21(Sun)                        

* 4.20(Sat) : Reception day*                         
Open 12:00 Close 19:00

statement
カ メ ラを 初 め て 買 っ て か ら 8 年 ほ ど 経 ち ま す 北海道の星の写真が好きで、星の写真を撮りたくてカメラを買いました
最近 の自分の写真 を見ていて 自分らしさが消えていっているよ うな気がしました 自分の写真なのに、誰かの写真が重なるように見えました
都内に引っ越して、星を撮ることはなくなりました 心が疲れたら今でも海を見に行きます
バイクを手放して遠出がしにくくなりました 都会の人間は つめたいなと思います
私もつめたい人間だと思われているのかな、 と 電車に乗るたびに ぼんやり考えます
自分らしさがわからなくなります
自分らしい写真で、自分らしい色で展示をします しかしそれは誰かの、 何かの影響を強く受けていて
自分らしいもの ではないかもしれません
だけど、時間ごとに 変わる空の色が 自 分 の 意 思 に 反 し た 色 を つけ て も
そ れ は そ れ で 自 分 ら し い な と 思 え て し ま うの で す


藤村聖那

山口県出身
高専卒業後、愛媛県で機械設計の仕事に2年携わる。       未来に希望を感じなくなり、好きなことを一旦しようと思い
川崎の大型撮影スタジオに て1年半勤務 。            スチールを本格的に学びたいと考え、都内スタジオにて1年半勤務のち独立。
フリー ランスとして現在2年目となる。
広告や音楽系媒体の撮影、またライブ撮影を多く行っている。